- トップページ
- イマイのコラム 2025
- 軍艦島に行ってきました
<< 前のコラム 次のコラム >>
軍艦島に行ってきました
2025/1/15
正月の休みを利用して、長崎へ行きました。原爆記念館や大浦天主堂、浦上天主堂などの見学をしましたが、一番の目的は軍艦島ツアーへの参加です。ツアー参加の1月2日は晴天になり、風も少なかったため無事に島へ上陸することが出来ました。3回参加して一度も上陸できない人もあるとのことで、本当に運に恵まれました。
遠くから観る軍艦島は、「まさに軍艦」の形をしています。三菱の炭鉱として繁栄し、小さな土地の中に5千名以上の生活があったため建物を上に伸ばさなければならなくなり、コンクリートの建物群に島が覆われた形になっています。
一番古い建物は、大正5年に7階建てのコンクリート造りで建てられたそうです。また、炭鉱が栄えていたため命がけの工員の給与も高く、アパートでの生活費も安かったために、テレビの普及率が高かったとのことです。思ったより良い生活が営まれていたようです。
遠くから観る軍艦島は、「まさに軍艦」の形をしています。三菱の炭鉱として繁栄し、小さな土地の中に5千名以上の生活があったため建物を上に伸ばさなければならなくなり、コンクリートの建物群に島が覆われた形になっています。
一番古い建物は、大正5年に7階建てのコンクリート造りで建てられたそうです。また、炭鉱が栄えていたため命がけの工員の給与も高く、アパートでの生活費も安かったために、テレビの普及率が高かったとのことです。思ったより良い生活が営まれていたようです。
1974年(昭和49年)に閉山し、全島民が一斉退去。そこから廃墟への道が始まります。
世界遺産として登録され、観光地として脚光を浴びていますが、修繕等を行うわけではないので、5年前と今の状況では違いがあるとのことです。いつまで建物が残っているかわからない状況です。
世界遺産として登録され、観光地として脚光を浴びていますが、修繕等を行うわけではないので、5年前と今の状況では違いがあるとのことです。いつまで建物が残っているかわからない状況です。
世界遺産の登録は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」としての登録のため、大正や昭和に建てられた建物ではなく護岸のための壁が世界遺産とのことでした。
壁だけ観ても何の変哲もないものです。やはり世界一の人口密集を支えた建物群…それが崩れていく過程が見られることが、他にないものだと思います。
壁だけ観ても何の変哲もないものです。やはり世界一の人口密集を支えた建物群…それが崩れていく過程が見られることが、他にないものだと思います。
ちょうど年末に「海に眠るダイヤモンド」を観ており、「帰れマンデー」の特番でも軍艦島のことをやっていたため、昭和30年代40年代の軍艦島での生活を想像することが出来ました。日本の近代化を支えた歴史を感じながら、頭の中には「海に眠るダイヤモンド」の主題歌がリフレインしていました。
ささやかな花でいい
大袈裟でなくていい
ただあなたにとって
価値があればいい
大袈裟でなくていい
ただあなたにとって
価値があればいい