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蜩ノ記
2014/10/15
葉室麟の「蜩ノ記」を読みました。映画公開の宣伝をテレビやラジオで見聞きしていると原作本を読んでみたくなるのですが、さっそく本屋に向かい買ってきました。葉室麟という作家の事をまったく知らなかったのですが、読み始めたらテンポがよく、一気に読み進める事ができました。
江戸時代の話なので登場人物の名前が覚えにくく、読んでいる最中に「これ誰だっけ」という場面が何度もあったのですが、くじけず読み進めました。映画の宣伝などであらすじが紹介されていますが、私が心に残ったのは次の2つです。
なぜ濡れ衣の弁明をしないのかとの問いに「疑いは、疑う心があって生じるものだ。弁明しても心を変える事はできぬ。心を変える事ができるのは、心をもってだけだ」「忠義とは、主君が家臣を信じればこそ尽くせるものだ。主君が疑心を持っておられれば、家臣は忠節を尽くしようがない。されば、主君が疑いを抱いておられるのなら、家臣は、その疑いが解けるのを待つほかない」
庄三郎が郁太郎と家老の屋敷に討ち入りし座敷牢に入れられた時の覚悟「ひとは心の目指すところに向かって生きているのだ」「心の向かうところが志であり、それが果たされるのであれば、命を絶たれることも恐ろしくはない」
戸田秋谷のような「理想の人間」が本当にいるのかと思ってしまう私のような俗物ですが、筋の通し方を見習いたいものだと思います。又、武士の子として育つ郁太郎と農民の子の源吉の交流、そして郁太郎の成長も読み応えがありました。
江戸時代の話なので登場人物の名前が覚えにくく、読んでいる最中に「これ誰だっけ」という場面が何度もあったのですが、くじけず読み進めました。映画の宣伝などであらすじが紹介されていますが、私が心に残ったのは次の2つです。
なぜ濡れ衣の弁明をしないのかとの問いに「疑いは、疑う心があって生じるものだ。弁明しても心を変える事はできぬ。心を変える事ができるのは、心をもってだけだ」「忠義とは、主君が家臣を信じればこそ尽くせるものだ。主君が疑心を持っておられれば、家臣は忠節を尽くしようがない。されば、主君が疑いを抱いておられるのなら、家臣は、その疑いが解けるのを待つほかない」
庄三郎が郁太郎と家老の屋敷に討ち入りし座敷牢に入れられた時の覚悟「ひとは心の目指すところに向かって生きているのだ」「心の向かうところが志であり、それが果たされるのであれば、命を絶たれることも恐ろしくはない」
戸田秋谷のような「理想の人間」が本当にいるのかと思ってしまう私のような俗物ですが、筋の通し方を見習いたいものだと思います。又、武士の子として育つ郁太郎と農民の子の源吉の交流、そして郁太郎の成長も読み応えがありました。